「退屈」の本当の価値
退屈するって、今の時代なかなかない。
一昔前はパソコンがあればニコニコ動画やYouTubeが見れたけど、今はスマホ1台あれば動画はおろか、映画もドラマも見放題。
前と比べて「退屈だな」って思うことがないよねぇ。
スマホ1台あればどんな待ち時間でも暇つぶしできるし、常に誰かと連絡が出来て、憧れの有名人の日常ものぞくことが出来る。
僕もスマホもタブレットもパソコンも持っているから、ネットフリックスやYouTubeを時間がある限り見る生活を送っていて、退屈とは無縁の生活を送っています。
でも最近、退屈になることが無いんだけど「楽しい」と思えることが少なくなった気がするんです。
見たい映画も分からない、音楽もゲームも何もかも。
ただただボーッとYouTubeを見るだけ。
たぶん昔は「退屈だったから」些細なことでも楽しいと思えたし、幸せだと思えたんだと思うのね。
前と比べて「楽しい」「幸せ」と思うことがとても難しくなっちゃったんだと思う。
それに僕は何かを表現したいと思っているのに、「楽しい」と思えないことは表現できない。
子供の頃はゲームは一日30分で、当時はもちろんスマホなんて無かったから一日の大半は退屈な時間を過ごしていたし、その頃の創造力は今よりもずば抜けて優れていたと思う。
「退屈になる価値」を僕は見いだせてなかったんだと思う。
今の時代、「退屈になろう」と思わないとなかなか「退屈な時間」は過ごすことは難しい。
すぐに習慣を変えることは難しいけどちょっとずつ昔の創造力を取り戻していきたいどすね。